きみへの手紙☆
パパの手の長さって きみと手をつなぐのにちょうど良い長さに創られているんだね
一週間のうち半分、パパはきみを幼稚園に送っていく。
ふたりで 手をつないで歩いていく。
15分の道のり。15分のお散歩。
眠い目をこすりながらの日もあれば
ふたりでふざけあっての日もあるし
ケンカしながらの日もあった。でも
いつも手をつないで歩いていたね。
ある日
パパは気づいてしまったんだ。
春になって きみが小学生になってしまったら
幼稚園に送っていくことも無くなってしまうことを。
こうして手をつないで歩く きみとパパとの15分が無くなってしまうことを。
こんなあたりまえのことに気づいて
急に立ち止まったパパの顔を
「どうしたの?」って不思議そうに見ていたきみに パパの気持ちはわからないだろう。
いまのきみには 決してわからないだろう。
わからないのが正解だし、こどもの頃のパパもわからなかった。
パパときみが 手をつないで 園までの道のりを歩く15分という時間は
たとえこの先、ふたりにどれだけの長い時間が用意されているとしても
たぶんもう二度とやってこない時間なのだということを。
ダイヤモンドより貴重なこの15分を パパは三年間、その貴重さに気づくことなく過ごしてしまった。
きみと「こびとの小道」を通りながら話しをするのが好きだった。
きみと どこかに隠れてるかもしれない妖精を探すのが楽しかった。
きみと 花や木の実を見ながら それにどんな意味があるのか話すのがうれしかった。
きみと 手をつなぎながら歩くことが幸せだった。
きみが さしだした手をしっかり握ってくれるのが幸せだった。
たった15分の時間。
でももう二度と手にすることのできない15分という時間。
もっともっと続くと思っていた。
もっともっと残されていると思っていた。
カレンダーを見てしまうと 「あと何回」かがすぐにわかってしまうから
春になるまで
きみが卒園するまで
パパはもう カレンダーを見ません。見たくないな。
だからさ
最近は手をつなぐだけじゃなくて
きみのその おもちみたいなホッペをつつきながら歩いたり
きゅうにだっこして ホッペにちゅーしようとするパパのことを
かわいい顔してそんなにおこらないでおくれ☆
